Series
ワタリポ(ワタクシ的リポジトリ)
メゾン・ド・ヌイグルミ
佐藤 知生
24/7/29
国立情報学研究所
みなさんの家にぬいぐるみはありますか? 日頃はハードボイルドで通している私ですが、少しずつではあるものの着実に部屋の中にぬいぐるみが増殖する現象にみまわれています。ナイスミドルへの道を駆け上る独身男としてイメージ的に由々しき事態。しかし、琴線に触れる一体と出会うとつい家に招きたくなり、気づけば棚に並べています。なんとか威厳を取り戻そうとバカラ風ダイソーグラスでバーボンを傾けてみたとて、視界の端にはモコモコした連中が並んでいます。ハードボイルドもへったくれもありません。 今回のワタクシ的リポジトリでは、そんな悩ましいほど中毒性のあるぬいぐるみたちの話にお付き合いください。
二心房二心室(ポーチ)
近くにありながら、直接見ることや触ることがかなわない存在。人はそういったものに憧れ、手元に置いておきたいと思わせるのかもしれません。 みなさんご存じの二心房二心室です。 のっけからぬいぐるみじゃないという無慈悲な批判はお控え願います。初期設定はポーチでも、私にとっては切開機能がついた心臓のぬいぐるみです。ジッパーを開けると中はぬらぬらと真っ赤で、懐炉を入れれば冬場に手を温めるのにも良さそうです。ハムスターを寄生させても大変かわいらしいかもしれません。 心臓は臓器界のアイドル五臓六腑の一角を担い、その中でもセンターを張っている存在です。特に二心房二心室は、その高度な機能性から心臓のフラッグシップモデルとして鳥類や哺乳類に採用され、「これがないと生きていけない」と口にする人も少なくないとか。
このぬいぐるみでは、そんなハイテクな二心房二心室を乳頭筋や腱索まで細かく再現しており、そのディティールにときめきが止まらずクラクラしてきます。私の二心房二心室が共鳴しているのでしょうか。それともバーボンの飲み過ぎでしょうか。
ミジンコ(Daphnia pulex)
軍隊の激励や往年のツッパリ界隈では、しばしば「このミジンコ野郎!」というセリフを耳にしますが、リスペクトの意味ではないと知った時は驚きました。ミジンコは、人間より遺伝子が8,000個近くも多いのに(多ければ良いわけではない)。プランクトン界のアイドルとして高い人気を誇るミジンコですが、知られていないことも意外とあるようです。
このぬいぐるみを見て勘のいい方は気づかれたかもしれませんが、泳ぎ方はバタフライです。クロールするのはカイミジンコで、犬かきするのはケンミジンコであって、このポピュラーなミジンコではありません。左右の腕を同時に振ってパタパタと泳ぐ姿は、やはりミジンコ(Daphnia pulex)ならではの愛らしさです。
なにより私たちを驚かせてやまないのは、その形態(フォルム)。ミジンコと聞いて多くの人がイメージするのは、教科書や図鑑で目にしたかわいい横顔のポートレートだと思います。つぶらな瞳が印象的で、正面から見たら一層魅力的だろうと誰もが想像を膨らませます。ところがどっこい、真実はいつも私たちの想像を超えるのです。このぬいぐるみを正面からみると...まさかのサイクロプス。左目だと思っていたのが単眼の左端だったとは。
人が美人に見える条件は、「夜目、遠目、傘の内」といいます。本当は少し見えないくらいが魅力的なのです。しかし、本当の姿を見て初めて気づく魅力もあり、その魅力を知っていくことが愛なのです。
ミジンコの目の真実を知るとき、人は一歩大人に近づきます。
アノマロカリス・カナデンシス
カンブリア爆発のアイドルといえば、アノマロカリスをおいて他にないでしょう。なんといっても「史上最初の覇者」です。しかし、著名とはいってもそこは化石、地下アイドルの域は出ません。結局のところ、大多数の方がアノマロカリスについて抱いているイメージといえば、「なにそれ美味しいの?」といったところだと思います。
2011年に報告された1m級の巨大アノマロカリス化石に関する論文[1]の共著者であるYale大学Peabody自然史博物館の責任者、Derek Briggs氏によると「これほど大きなエビなら、軍隊を1カ月でもまかなえただろう。巨大で、しかも間違いなくかなりの美味だったはずだww」とのことで[2]、専門家的には“じゅるり”という見解です。また、アノマロカリスの料理法が記載されている文献にも、その味や食感について言及があります。『古生物食堂』に掲載されているレシピ「アノマロカリス しんじょう揚げの甘酢餡かけ」は、アノマロカリスのフワッとした触感と独特の苦みを活かした料理[3]。こちらも専門家の考察を元にしているということで、味への期待はいよいよ高まります。
アノマロカリスのぬいぐるみを見ると、いつの日か実物を蘇らせ、しんじょう揚げで一杯やりたいと科学の発展を支える志がふつふつと湧いてきます。
食物連鎖
ずるいほどメッセージ性が光るのがこちらの1体(1システム?)。自然界のドグマがぬいぐるみ化される時代になったということで、見つけたときは感慨深いものでした。 「食物連鎖」とは、地球上に存在する生物が、お互いに「食べる」「食べられる」の関係にあることをいい、網の目のように複雑に関わりあっていることから「食物網」とも呼ばれます。生態系(エコシステム)は、生物とその生物を取り囲む自然環境をあわせたシステムですが、「食物連鎖」はその中で生物間の関係性の軸となる要素です。オキアミは魚に食べられ、魚はペンギンに食べられ、ペンギンはシャチに食べられ、シャチの糞や死骸がプランクトンを育て、オキアミの餌になる。ミクロスケールでみれば、搾取し、搾取されるように見える関係性が、マクロスケールでみると支えあっているというのはなんだか不思議な感じがします。往々にしてエコシステムというのは、視界の中に納まる範囲では計りにくいものなのかもしれません。 オープンサイエンスの界隈でも、近頃国内外でこのエコシステムという言葉を耳にすることが多くなったように思います。しかし、自然界のエコシステムがそうであるように、研究のエコシステムもまた様々な環境やステークホルダーが入り組むため、そのゴールはまだ誰にも分かりません。論文が、査読が、研究データが、研究者が、AI技術が、研究評価が、図書館が、大学が、助成機関が、政府が、社会が、それぞれどう絡み合うのが最適なのか、すべてこれから手探りです。ひとつの生態系が溶けていき、また別の形を得ようと蠢いている。そんな時代にこの業界に携われるなんて、なんと面倒で愉しいことでしょうか。 「オープンサイエンス」というぬいぐるみがあったら、いったいどんな形をしているのでしょうね。
さて、知識もスキルも追い付かず、楽しそうなことをつらつら考えているだけのハーフボイルド(半熟者)な私ですが、JPCOARではコンテンツ流通作業部会と研究データ作業部会で活動しています。これらの作業部会では、会員機関のリポジトリが擁する学術論文や研究データをはじめとする多様なコンテンツについて収集・管理・保存のノウハウを共有したり、メタデータの標準化や FAIR 原則への対応、流通促進などに取り組んでいます。 研究データ管理については、国立情報学研究所の本務においても深く関わっていますので、今後図書館がどう支援していくかという課題に留まらず、研究者の需要や評価まで含め広い視点でより良いエコシステムの構築に向けて微力ながらお力になりたいと思っています。どうぞよしなに。
[1]Van Roy, Peter, and Derek EG Briggs. "A giant Ordovician anomalocaridid." Nature, 473(7348), 2011 ,510-513.
[2]Christine Dell'Amore. “3-Foot "Shrimp" Discovered—Dominated Prehistoric Seas”. National Geographic. 2011-05-28. https://www.nationalgeographic.com/science/article/110526-giant-sea-fossils-science-nature-briggs-anomalocaridids, (accessed 2024-06-17)
[3]土屋健, et al. 古生物食堂. 技術評論社, 2019, 223p., (生物ミステリー), ISBN9784297108199