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開かれながら閉じる:在野研究者として考える情報発信とコミュニケーション 

(在野研究者・荒木優太氏インタビューその1)





リポジトリに登録した文献は、だれに、どんなふうに使われているのだろう。ユーザの声を聴きたいという思いから、今回は「在野研究者」として積極的に情報発信をされている荒木優太氏にインタビューを行いました。オープンアクセスに留まらず、図書館という場、コミュニケーションそしてコミュニティのオープン/クローズについて、在野研究者としての視座と専門領域を絡めて示唆に富むお話をいただきました。


(インタビュアー・編集: 熊﨑 由衣(千葉大学・広報・普及作業部会))



研究テーマや研究生活についてお聞かせください。


 在野研究者というのは、一言で言うと大学に属さずに研究活動を行っている人です。私は、日々の糧は清掃の労働で得ていて、早朝に起きて清掃に行き、午後に研究をしています。

 私が在野研究者とみなされたきっかけは、2016年に『これからのエリック・ホッファーのために:在野研究者の生と心得』という図書を出版したことです。これは過去の在野研究者たちの生きざまや研究成果を要約しており、今とこれからの在野研究者たちの一つの励みあるいは方針になるのでは、と考えて書きました。続いて出したのが『在野研究ビギナーズ:勝手にはじめる研究生活』です。前の著作が過去の人を扱ったのに対し、現在活躍している大学の外で活動する研究者、研究支援者たちに対して、どうしてそういうことをしようと思ったのか、あるいはその営みと普段のあまり研究とは関係ないお仕事との両立などについて書いてもらう編著の形で出しました。これが割と多くの人々に読まれ、色々な反応をいただけて、在野研究という言葉も世に大きく広がっていったかなと思っています。

 私の専門は有島武郎です。彼がどんな文献と出会って考え方を固めていったのか、あるいは今日から見ると謎めいた言説のありようを当時の文脈を踏まえて読み解き、有島武郎を今日読む価値を改めて見出しています。その成果は岩波新書から『有島武郎:地人論の最果てへ』として出版しました。啓蒙書なので厳密な意味での論文ではありませんが、区切りとなる著書です。

 今は色々と同時並行で行っています。研究の関心においては、有島武郎関係の各論を深めています。例えば有島と地理学との関係で、彼はアーノルド・ギヨーという地理学者の著作を読んでいるので、その言説的な関係を改めて復元しています。また、有島の親友とされている森本厚吉という経済学者との関係。森本は有島の晩期において彼の社会運動を手伝っていましたが、彼らの著作を読み比べるとその考え方が大きく異なっていることが分かります。違いがありつつ、それでも協働できた背後について調べています。

 他方で、研究というほど専門的ではない、評論やノンフィクション的なお仕事もあります。例えば、戦後のサークル文化の勃興やその展開に関する著書を6月頃に出版する予定です。この種の仕事に、2021年に出した『転んでもいい主義のあゆみ:日本のプラグマティズム入門』というプラグマティズムの日本における展開をまとめた本があります。在野研究は社会的なポジションの性質上、大学と縁のないような分野の研究が盛んでした。この視点で哲学に目を向けたときに、大学でやるのはちょっとねと除け者にされてきたのが、私の認識だとプラグマティズムに相当します。プラグマティズムは哲学史においてあまり大きな影響力を持ち得なかったと思っていますが、本当にそれだけでいいんだろうかという問題意識の下、日本でのその系譜を再現しようとしたのがこの著書です。狭義の専門とは異なりますが、前述の森本厚吉がプラグマティズム的な思想を書き残しており、有島との対照性を考える上で役立ちました。回り回って自分の専門領域に帰ってきたという感じがして、この点では大きな充実感を得ています。

 基本的な作業は、研究でも物書き仕事でもあまり変わりません。私の場合は読むことが大きなウェイトを占めており、文献を読み先行研究を調べながら、自分にない視点への気づきやまだ言及されていない論点を見つけ、その着想から様々な資料を援用しつつ自説をつくり上げていく。これはほとんど変わりません。ただ、結果に落とし込むときの形が違いますね。研究の場合は論文が一般的で、ある種の様式があり、文体においても読みやすさが必要なので派手なことはできません。対して物書きのお仕事では、専門的な読者を目当てにした論文とは違って、もっと一般的な方々に読まれることを意識せねばならないので、読んでいて面白い、時には感情が揺さぶられるような仕掛け、レトリックを介在させることが重要だと思ってやってきました。ですので、アウトプットの仕方で微妙に使い分けがあるという感じがします。ただ、その前段階の作業というのはほとんど変わらないし、変わってもいけないだろうと思っています。





研究における図書館や資料の利用、困難などについてお聞かせください。


 私の母校である明治大学では、卒業すると「校友」になり、明治大学図書館の利用、貸出といった機能が大体使えます。ただ、コロナ禍以降、大学図書館の使用権が一切なくなってしまって、資料を参照するのに苦労しているというのが正直なところです。リアルの資料を見られないので、国会図書館に代表されるようなデジタルな資料の閲覧が増えたと思います。

 利用の総体的な割合は、紙が7割、デジタル3割くらいです。ただ、論文の執筆に必要な資料の種類は内容で違います。有島と地理学の影響を調べたときに使ったのはインターネットアーカイブで、ここでアーノルド・ギヨーの原著が読めました。それをひたすら訳していく作業が大半を占めていたので、5:5あるいは4:6とウェブから仕入れる資料が結構大きくなったと思います。研究をはじめてから10年を経て、ウェブの資料においても、引用したい、あるいは引用したとき信頼に値すると評価されると思えるような資料の閲覧時間が増えていると感じます。私が論文を書き始めた頃は信頼性に疑問がある記事ばかりという印象でしたが、今はもう少ししっかりしたものが見られます。また人々の側もインターネットにある言説だからといって二流、三流という偏見みたいなものもかなり解除されてきているなという観があり、使える資料は確実に増えているのが実感です。

 ただ、やっぱりぱらぱら読むという作業が電子書籍やPDFだとできないですよね。つまりインターネットの世界においては、かなりピンポイントにこれが知りたい、読みたいという対象がないとあまり使いものになりません。それとは別に、研究のある種の発想力というのは関係ないところで見つかる、つまり自分の考えているのとはちょっと別のところに細道があって、でもこの細道が結構重要、みたいなことはよくあります。細道を見つけるためには、ちゃんと読んでいないんだけども目に入ってくるような情報がばらばらとある、そういう状態を維持することが実は大事だとずっと思っているんです。これは恐らく書架の問題とも関連しています。コロナ禍以降、国会図書館にはよく行きます。そういう意味では資料へのアクセシビリティはあるのですが、明らかに自分が持っているクリエイティビティを喚起する力が発揮されないと思うことがあります。簡単に言うと全て閉架式だからです。これは、知的な作業をやっている人にとってはかなり大きな痛手だなと思います。明治大学図書館を使っていたときは、自分自身で地下の書庫に入って色々な本が並んでいる状態を見ることができる、その中で自分の発想を磨くことができていたと感じます。それは先ほどのぱらぱらめくれるのが大事、ということと恐らくは通底していて、偶発性を誘発する環境をどのように調達するのかというのが大きなミッションです。(つづく)



荒木優太氏プロフィール




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