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ワタリポ(ワタクシ的リポジトリ)

谷川俊太郎に憧れて

永井 一樹

25/1/29

兵庫教育大学

 もう二十年以上大学図書館で働いているけれど、私にはちょっと別の顔があります。それは詩人の顔です。でも、詩人とは何でしょう。「画家、作曲家、作詞家、作家は家が建つ。詩人は家が建たない」[1]と、日本でいちばん有名な詩人の谷川俊太郎が書いています。語尾に「家」がつくか「人」がつくかで状況が大きく変わるようです。生計を立てるために従事する仕事が「職業」の意味であるなら、詩人は職業にはなりえません。では、詩人とは誰なのか。詩を書いている人が詩人なら、大学ノートに日記をつけている人とかXで呟いている人みんなが詩人になる可能性があります。生まれた子に名を付けるとき、誰もが詩人になるとも言われます[2]。でも、そういう人々のたいていは、自分の肩書に「詩人」なんて書かないでしょう。そう名乗るからには、ある一定のラインというか条件があるはずです。誤解を恐れずにいえば、その条件とはずばり詩集を刊行したことがあるかどうか。数編の詩を雑誌に載せたというのでは足りない。それらをまとめて一冊の詩集として(しかも冊子体で)刊行すること。それがなければ詩を世に問うたことにはならないのです、たぶん。例えば、有名な中原中也賞の応募条件は「現代詩の詩集(表紙・奥付のあるもの)」となっています[3]。つまり、冊子体で送ってくださいよと言っているわけです。  ご存じの通り、詩集というのは、書店の中で最も肩身の狭い(つまり、売れない)商品です。インターネットがこれだけ発達した現代なのに、未だにコストのかかる紙文化にこだわりつづけるのはなぜなのでしょうか。  という問いは、アカデミアに属しオープンアクセスの仕事に携わる私たちの耳には、(とりわけ人文系のシーンでは)かなり馴染みのあるものだと思います。  例えば、オープンアクセスに関する伝説的論客、スティーブン・ハーナッドは、早くも1994年に紙媒体による出版の終焉を“楽観的”に予測したけれど、この予測は科学・学術出版のみに当てはまるという前置きをしました[4]。科学・学術はニッチな世界であり、研究者の欲望はそのニッチ(ハーナッドの表現を借りれば「esoteric<秘教的>」)な世界の住人に自身の成果を報知すること、これに尽きるのであるから、わざわざコストのかかる出版ビジネスに頼らずともインターネットを使えばいいじゃないか、というのがハーナッドの意見だったけれど、これはほぼそのまま詩集の出版にも当てはまります。詩の世界も同じく、かなり<秘教的>だからです。  けれど、科学の世界も詩の世界も、いまだに「出版」にお金がかかる状況は変わりません。私もかつて一度だけ、自分の詩集を出したことがあります。もちろん自費出版で[5]。70万ほどかかったかなあ。当時の給料で三か月分くらいがふっとびました。でも全然痛くなかった。独身だったし、実家通いだったし、お金のかかる趣味とかも特になかったから。それよりも、自分の詩が斯界の目に触れる可能性が高まったことの興奮の方がはるかに大きかった。全国書店などへの配本を除いた残部が段ボールで大量に家に届いたとき、そこに全国詩人住所録という冊子が添えられてありました。ぺらぺらめくって見ると、かの谷川俊太郎を始め、第一線で活躍する現代詩人の住所情報が次々と出てくるではありませんか。詩集の寄贈先リストとして送られた住所録だったわけですが、私は「これで本人に会いに行ける」とそのとき思いました。志村けんがドリフターズに入れたのはなぜか。それはたまたま見た雑誌にいかりや長介の住所が載っていたからだった、というのを以前テレビで見たことがあります[6]。雪の降るなかアパートの前で、志村青年はいつまでもいかりや長介の帰宅を待ち続けました。そして、見事付き人の役を勝ち取ります。私もこれと同じサクセスストーリーを歩むのだと思いました。谷川俊太郎に弟子入りし、一気に詩壇の上の方に昇り詰める。そんな夢想をひとり逞しくしていたわけです。でも、もちろんそんなことはしませんでした。自分の詩集を送りつけることさえ傲岸不遜なことだと思いなおし、結局どこにも送りませんでした。自分の所属する図書館にすら寄贈の申し出をしていません。私は上梓後すぐに我に返り、妙な自己嫌悪にとらわれていました。自分はいつから詩壇なんて気にするようになったんだろうと。70万を支払った私に、学術出版市場における高額なAPC(論文出版費用)の是非について語る資格はありません。  でも、一方で出版とはこういうことなのだとしみじみと思い知ったのも事実です。自分の作品を世に知らしめることだけでなく、自分を斯界(秘教的コミュニティ)の一員に迎え入れてくれること。それが出版という営為の重要な役割のひとつなのだということを、全国詩人住所録を手にしたとき私は強く実感したのでした。あれをひもといたときのめくるめきを私はたぶん一生忘れないでしょう。


 ずいぶん前置きが長くなってしまいました。このコーナーはワタリポ(私的リポジトリ)なので、慣例にならい私の大切にしてきた詩の宝箱のなかから、あえて谷川俊太郎以外のオススメの二篇を紹介させていただきます。


1.尾形亀之助「郊外住居」


 尾形亀之助をご存じの方は少ないでしょう。大正末期から昭和初期にかけて活躍した詩人です。「活躍」と言っても、生涯にたった三冊の詩集を世に問い、草野心平や高村光太郎といった少数の理解者があったものの、いずれの詩集も詩壇からほぼ黙殺された不遇の詩人です。ほとんど定職につかず詩に埋没し、放蕩無頼の生活の末、四十二歳の若さで衰弱死しました[7]。  尾形の魅力は、何と言ってもわずか数行という短詩の中に意味不明な面白さが込められていること。現代で言えば、吉田戦車の四コマ漫画『伝染るんです。』を読む感覚に近いものがあります。例えば、私のイチオシがこれ。



「郊外住居」

   街へ出て遅くなつた

 帰り路 肉屋が万国旗をつるして路いつぱいに電灯をつけたまゝ

 ひつそり寝静まつてゐた  私はその前を通つて全身を照らされた [8]



 何がそんなにいいのかよくわからないですよね。単なるスナップショットのような情景描写に過ぎません。でも、私の眼には得も言われぬ感動があるのです。例えば、この作品を私が昔Twitter(現 X)にあげた以下の文章と比較してみましょう。



 妻が閉めた瓶のふたを開けられないことがある

 深夜のキッチンで冷蔵庫の電灯に残酷に

 照らされてしまうことがある



 いずれも夜の電灯に照らされるという、どこか「滑稽味のある残酷さ」が感じられる文章ですが、私の文章のいけないところは、まず残酷さを演出するときに「残酷」という言葉を使ってしまっている点です。詩としては致命的なNG。さらに、「瓶のふたが開けられない」という「残酷」の理由がはっきりわかってしまっている点も頂けません。つまり、説明的すぎて退屈なのです。  これに対して、「郊外住居」の方はその残酷な印象がどこからやって来るのかよくわからない。強いて言うと「肉屋」からでしょうか。これが八百屋や宝石屋だとあまりしっくり来ないような気がします。「肉屋」と「万国旗」というワードが、例えば屠殺台の明るさのなかに横たわる尾形の裸体というカーニバル的なイメージを想起させるのかもしれません。でも、それも一面的な理解であるような気もする。尾形の魅力、その詩の豊かさは、このわからなさにあるのだと思います。高村光太郎はこう書いています。  「尾形亀之助の詩ほど、名状し難く補足し難い魅力を持っている詩は少ない。彼が落ちついた言葉で、ただごとのような詩を書くと、読む者の心は異常な衝撃をうけて時として不思議な胸騒ぎさへ起こる。どこにそんな刺激があるのか読み返してみても分からない。」[9]  と、ここまで書くと、尾形の他の詩も読みたくなってきますよね。彼の三冊の詩集はすべて青空文庫で公開されているので[10]、興味のある方はぜひ尾形の秘教的世界をご堪能ください。



2.ジャック・プレヴェール「鳥の肖像を描くために」



 ジャック・プレヴェールをご存じの方は少なくないでしょう。奇しくも尾形亀之助と同じ1900年生まれですが、こちらはフランスの国民的な詩人。シャンソン歌手イヴ・モンタンが歌う「枯葉」の作詞で有名ですね。秘教的という言葉がおよそ似合わない、万人受けしやすいライトヴァース(軽いノリの詩)を得意とする詩人です。  「まず鳥籠をひとつ描くこと」というフレーズで始まるこの詩もそう[11]。ウィットに富んだ楽しい物語が幕を開きます。キャンバスに戸を開けた状態の鳥籠を描き、木に立てかけておく。画家は木のうしろに隠れ、静かに鳥の訪れを待つ。場合によっては何年も。そして、運よく鳥が籠のなかに入ったら、絵筆で戸をそっと閉める。見所は後半。閉じ込めた鳥をどうするかと思ったら、画家は今度は鳥籠を消す作業に取りかかる。そして、鳥のために木の枝や緑の葉むら、さわやかな風などを描いていく。鳥に心地よく歌ってもらうために。  一編のなかに絵画と音楽のモチーフが同居するこの詩に、それまで感じたことのない不思議な恍惚を覚えたのを記憶しています。私がこの詩と出会ったのは、二十代後半の2006年頃。奈良美智の少女のイラストが表紙を飾り、映画監督の高畑勲が訳を手がけた異色の翻訳詩集『鳥への挨拶』の一編で、高価だったから結局買わなかったけど、しばらく立ち読みの場所から動けなかったほどの衝撃を受けました。その頃、私は自分の詩集刊行の準備に取りかかっており、ちょうどライトヴァース的な詩を多く書いていたので、大きく背中を押されたような気がしました。プレヴェールの没年は1977年4月。私の生年月と同じなので、自分はひょっとしたらプレヴェールの生まれ変わりではないかなんて疑ったほどです。


 ちなみに、鳥籠といえばJPCOARのロゴマークですね。鳥が鳥籠の上に立っているデザインは、研究者の活動やそのアウトプットが囲い込みから解き放たれるという意味が込められていると思います。でも、籠の外に出すだけで鳥は本当に幸せなのか。と、時々自問することがあります。プレヴェールの画家は、一旦鳥を鳥籠に囲い込んだ上で、鳥に心地よく歌ってもらうための環境をうまく整えていきました。これは書き手と並走し育てていく出版社の仕事のメタファとしてぴったりですよね。大学図書館における研究支援がますます重要になってきている今、出版社のやり方をこれからもっと学んでいく必要があるのではないかと、個人的に思っているところです。奇しくも、2025年のNHK大河ドラマは版元が舞台。今年は公私(詩)共に、出版社との関係を密にする一年にしたいなと思っています。  私は、今JPCOAR広報・普及作業部会でウェブマガジンの運営を担当させていただいています。そのキャッチコピーは「オープンアクセスで世界を幸せにする」。このミッションのために、ウェブマガジンがアカデミアの内外を問わず様々なステークホルダーの声が交差する場となっていけばいいなと願っています。特に学術出版社の声はもっともっと聞きたいところ。その皮切りとして、近日シュプリンガー・ネイチャー社の浦上裕光氏とJPCOAR運営委員の鈴木雅子氏の、微醺を帯びた対談記事がリリースされる予定です。乞うご期待!


 

[1] 谷川俊太郎『ことばを中心に』草思社, 1985年, p.274

[2] 平川克美「詩と名付け」『暮しの手帖.第5世紀』2024, Vol.30, p.134

[3] 「中原中也賞を実施しています」山口市ウェブサイト,https://www.city.yamaguchi.lg.jp/soshiki/23/19260.html,(参照:2024-12-02)

[4] Stevan Harnad「The Subversive Proposal」『月刊DRF』2011, Vol.20, http://hdl.handle.net/2115/73505

[5] 正確には出版社との共同出版。完全な自費出版の場合はより多くの費用がかかる。

[6] 「志村けん「お笑いとは???もの」(金スマに来た豪華ゲストたちの金言大放出SP!)」『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』TBS(2024年8月30日放映)

[7] 正津勉『小説尾形亀之助:窮死詩人伝』河出書房新社, 2007年, 261p

[8] 『尾形亀之助詩集(現代詩文庫1005)』思潮社, 1975年, p.63

[9] 高村光太郎「尾形亀之助を思う」『河北新報』1948年12月5日

[10]「尾形亀之助」青空文庫, https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person874.html#sakuhin_list_1, (参照:2024-12-28)

[11] 安藤元雄ほか編『フランス名詩選』岩波文庫, 1998年, p.344-349



 
文:永井一樹( 兵庫教育大学 )
1977年生まれ。大学時代に太宰治に傾倒したせいか、友達ができず、図書館引きこもりに。社会人になっても引きこもりを続けるべく、公共図書館等をハシゴした後、2003年に兵庫教育大学附属図書館に就職。以後20年以上同館で引きこもりを継続してきたが、さすがに外の空気が吸いたくなり、最近BLUE CLASSという屋外ラーニングコモンズ計画を進行中。著書に『びにーるぶくろ』(土曜美術社出版販売、2009)。目下、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』耽読中。


 

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