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Interview

杉田茂樹氏(JPCOAR運営委員会委員長)インタビュー 第3話

インターネットという技術に対するキラーアプリケーションは、まだ姿が見えてないと思うよ

杉田 茂樹 / 野中 雄司

24/2/26

京都大学 / 富山大学

杉田茂樹=JPCOAR運営委員長 のインタビュー第3話(最終話)。

学術コミュニケーションの歴史を俯瞰しながら、学術雑誌に代わる「キラーアプリケーション」はまだまだその姿を現していないと、杉田委員長は語ります。

オープンアクセスという時代のうねりに身を委ねながら、我々は一体どこへ向かっていくのでしょうか。

実務担当者向けのアドバイスや文献の紹介もしていますので、リポジトリ担当者はぜひ参考にしてみてください!



DSpaceが乗っ取られた?


N|日本の機関リポジトリ事業が始まって20年が経ちました。あらためて、杉田さんと機関リポジトリとの出会いについて、振り返っていただけますか?


S|20年、早いね。2004年にDSpaceとEPrints(ともにオープンソースのリポジトリ・ソフトウェア)を日本語化して各大学で使ってみようというプロジェクトをNII(国立情報学研究所)でやったんです。それに関わったのが当時NIIにいた僕で。このプロジェクトに北海道大学が参加したんですが、その翌年に僕が北大に異動になって、システム管理係長としてHUSCAP(北海道大学学術成果コレクション)の立ち上げに関わることになったんです。



北海道大学学術成果コレクション(HUSCAP)の構築についてのポスター発表(2006年に英国グラスゴーで開催された国際会議Open Schlarship 2006にて)

N|その立ち上げのときの悲話はよく聞きましたね。


S|悲話?


N|DSpaceが乗っ取られた話。


S|ああ、懐かしいね。そのとき僕ちょうど筑波で長研(大学図書館職員長期研修)に参加してたんだ。若かったねぇ。


N|システム管理係長が不在の間に、サーバが乗っ取られてしまった。


S|うん、乗っ取られたのかなんなのか、7月20日にHUSCAPの試験公開を予定してて、その一週間だか前、僕が長研聴いてるときに、DSpaceが管理者権限でログインできなくなっちゃった。で慌てて、全部クリーンインストールし直したのだったかな。そのとき、僕、札幌じゃなくて筑波にいたので、その作業の舵取りをずっとリモートでやったわけ。


N|研修どころじゃなかったですね。


S|そうそう。でもよくそんなこと覚えてるね。自分でも忘れてた。


N|当時はほんと試行錯誤ですよね。とにかく前例がないから。


S|そうだね。外国でも機関リポジトリはまだ始まったばっかりだったので、数少ない文献を日本語に翻訳してああそうなのかと勉強してましたね。


N|どんな文献を読んでたんですか?


S|えーとね、


 

Nancy Fried Foster, Susan Gibbons.(2005). Understanding Faculty to Improve Content Recruitment for Institutional Repositories(より多くのコンテンツを機関リポジトリに集めるために教員を理解する)

原文:https://www.dlib.org/dlib/january05/foster/01foster.html

日本語訳:https://www.nii.ac.jp/metadata/irp/foster/


Morag Mackie.(2004). Filling Institutional Repositories: Practical Strategies from the DAEDALUS Project(機関リポジトリをコンテンツで満たす: DAEDALUSプロジェクトから得た実践的戦略)

原文:https://www.ariadne.ac.uk/issue/39/mackie/

日本語訳: https://www.nii.ac.jp/metadata/irp/mackie/


Jessie Hey.(2004). Targeting Academic Research With Southampton's Institutional Repository(サウサンプトン大学の機関リポジトリが対象とする学術研究)

原文:https://www.ariadne.ac.uk/issue/40/hey/

日本語訳:https://www.nii.ac.jp/metadata/irp/hey/ 


 

いちばん初期の頃、これらを何回も何回も読んだ。この3つの文献は今でも通用すると思います。今も悩んでることが昔から悩まれてたんだなーっていう感じがする。


N|数少ない海外先行事例を学びながら、機関リポジトリの構築と運用を試行錯誤しながらやっていましたよね。


S|業務をどんな風に組み立てようとか、運用に関してはそのままコピーできるものではないので、自分たちで一から考えて、いろいろな大学でこうやってみたらうまくいった、うまくいかなかったっていうのを、教え合い盗み合ってきたって感じでしたね。


N|そうでしたね。今日まで長い道のりでしたか?


S|あっという間だった。


N|確かにあっという間ですよね。それで、今回JPCOARの運営委員長を引き受けられましたけど、どんないきさつだったのですか?


S|JPCOARの運営委員長って互選で決まるから、引き受けたっていう感じでもないんだけど、でもまぁ前任だった木下聡さんから、すんごい軽い調子で(笑)、「次、杉田さんやんない?」とは言われてた。


残されたキャリア


N|あっという間に時間が過ぎて、我々も年を取って、何と言いますかキャリアの残された時間というものをどうしても意識する年代になってきたかと思いますが、その辺いかがですか。杉田さんがこれまでやられてきたことを踏まえて、残りのキャリアでこれをぜひとも達成したいとか、そういうものはありますか?


S|ない(笑)。ないというか、まだあんまり考えたことがなくてね、今聞かれて考えるんだけども。う~ん、あと4年あるんだけど、4年で何ができるだろうか。何もできないよね。





N|4年ってけっこうすぐですよね。


S|もっと「あっ」という間だよね(笑)。業界の大先輩の尾城孝一さんが、「商業出版に一泡吹かせたかったけど、ちょっと無理そうだ」って、定年前に言ってた。学術情報流通を根っこからひっくり返すのは難しいよね。オープンアクセスも何かゴールがあるかって言うと、あんまり簡単なゴールはなさそうだし。どうすればいいんだろう?


N|ほんと、どうすればいいですかね。


S|あの、これは色んな場でよく言ってることなんだけど、印刷術が出来てから、学術雑誌というメディアが生まれるまでに、200年ぐらいかかってるんだよね。それまで、手で書き写してたものが、組版・印刷・製本されて、流通するようになる。そういう形に行き着くまでに、すごくいろんな試行錯誤があって、やっと1660年代に学術雑誌という形に落ち着き、そしてそれが、その後300年ぐらいの間、紙媒体の出版流通という技術に対するキラーアプリケーションとして続くわけです。


N|印刷術の発明から雑誌が誕生するまでに200年もかかってるんですね。


S|一方、この印刷術に代わる電子情報通信っていう技術ができてから、まだ30、40年ぐらいしか経ってなくて、だから機関リポジトリも抜刷交換の真似事だし、電子ジャーナルも紙雑誌の真似事でしかない。どちらも過渡的な形態であって、まだまだ電子情報通信とインターネットという技術に対するキラーアプリケーションは、姿が見えてないと思うよ。そう考えたら、この先4年で何も成し遂げることなんかできない。過渡期の中のただの4年だなーっていう感じがするね。



JPCOARをどうドライブするか


N|今回スタートしたウェブマガジンは、これまでリポジトリやオープンアクセスにあまり接することがなかった人にわかりやすい記事も掲載していきたいと考えています。杉田さんは、以前「機関リポジトリの仕事はどうしても学内で閉じがちだけれど、その先は社会や世界につながっていて、そのことをもっと意識するべき」じゃないかっていう話をしていましたね。でも、中小規模の大学で一人でリポジトリの仕事をしていると、なかなか世界とかにまで意識が向かないのではないかと思いますが、その辺り、何かアドバイスとかありますでしょうか。


S|初任者研修等の場でアンテナとしてよくお薦めしてるのが、学術情報流通をテーマにしたブログ、The Scholarly Kitchenだとか、図書館の契約をテーマに飛び交っているLIBLICENSEというメーリングリストですね。ところで、JPCOARのメーリングリスト(JPCOAR Community ML)って、野中さん(広報・普及作業部会)の担当だっけ?


N|そのようですね。現状動いているものなので、今はウェブマガジンに注力かなと思って、頭の片隅に置いているんですけど。


S|メーリスは悩ましいよね。日常業務の話題とか、ちょっと幅広めに誰かがポンポンあげればいいのに。


N|そうですね。でも、個人的には情報共有とか交流という部分は絶対必要だと思っているので、その辺をどう構築していけるか、たとえば、メーリスで難しいところはウェブマガジンで発信するとか、相互補完的にメディアを使いながら、コミュニケーションを活性化できればいいなと思っています。でも、難しいですね。





S|難しいよね。一方で、昔は集会やるのがとても大変で、出張手続きが必要だったりしたけど、今ってオンラインの集会なら、すごく簡単にできるようになったじゃない。「明日、こんなのやります」って、ZOOMのURLを流せば100人くらい、ぽんと集まっちゃう。だから、「こういうことについてちょっと勉強してきたので、皆さんにも紹介します」というような会をどんどんやるといいと思うんだよね。毎週ぐらいのペースで行ってもいいと思うんだけど。


N|毎週……(笑)。ネタは色々あるんでしょうけどね。


S|毎日のようにやってもいいのに。でもまあ、なかなかおいそれとは話し手になってくれないか、みんな。


N|そりゃ、ハードル高いですよ。


S|ちゃんと発表しようとしちゃうからね。


N|手続きも大変だし。


S|でもこれだけ便利になってるんだから、もっと気軽にやったらいいと思うわ。イベント企画したら、2ヶ月前には広報をしてもらわないと困るとか言われたりするんだけど、それは対面イベントの慣習だからね。最近は、自分が企画するイベントは大体「来週やります」ぐらいの案内で、準備も一週間くらいでやってますけど、そのぐらいの感覚でやってもいいですね。ハンドルには遊びが必要です。


N|杉田さんのハンドルは遊びが大きすぎて、ちょっと怖いですけど……。


S|そうだね、小回り効かないもんね(笑)。


N|最後にお聞きしますけど、ハンドルということで言えば、JPCOARを大型バスに例えると、杉田さんは運転手です。我々はこれからどこに向かって行くのでしょうか。


S|ん。これって、なんかうまいこと言わんといかんとこ?


N|はい(笑)


S|言えんて。運転手っていっても、JPCOARってコミュニティだからね、運転手が行き先決めたりするわけじゃなくて、なんだろな、宴会幹事みたいなもん。色んな大学がそれぞれてんでに色んなことやって、うまくいったりうまくいかなかったりして、そういうのを持ち寄ってあーだこーだやる。だから、これからどこに向かうってのは、JPCOARがっていうより、ひとつひとつの大学が運転手で、それぞれあっち行ってみたりこっち行ってみたりすればいいんじゃないかな。


N|昔からそう言ってますもんね。船頭が多いと船が山に上っちゃうけどそれはそれでいいんじゃないというか。


S|そのほうが面白い。思いつかないようなとこに行くかもね。船なら山だけど大型バスならどこだろ。


N|それは200年後のお楽しみということで。ありがとうございました! (了)




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第2話にもどる



 


話し手:杉田 茂樹( 京都大学 )
1967年生まれ。1993年に北海道大学附属図書館入職。2005年から2009年にかけて北海道大学学術成果コレクション(HUSCAP)の設立に携わったのち流れ流れて現職。ウェブサイト:https://www.kidahami.com/post/yamoshichi_34




聞き手:野中 雄司(富山大学)
富山大学 学術推進部 学術コンテンツ課(附属図書館)。2001年北海道大学附属図書館採用、室蘭工業大学附属図書館への3年間の出向を含め16年間を北海道大学で過ごす。その後、東京大学附属図書館を経て現職。山も川も海も食べ物も素晴らしい富山を満喫中。


 

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